渡辺がなぜDuke(デューク)なのか、不思議ですよね。
気に入ってこだわって使っている理由がこれです。
1985年頃、まだ私がサントリー宣伝部の若手だった時、同じ部署にもう1人後輩の渡辺が異動してきまして、『サントリー宣伝部の渡辺』が二人になってしまいました。
いろんな意味でややこしいな、と思っていたのですが、ある時私の出張精算金が彼に渡されるという事態も勃発しいよいよ混乱してきておりました。
お互いを区別するような呼び方を考えようと、そこはサントリーらしくウイスキーを飲みながら二人で考えました、というより単に酔っ払いの戯言だったのです。
若い方とかベテランとか、それも自分だけトシみたいで嫌だし、どうもファーストネームで呼ばれるのって、これもこそばゆい感じで、なかなか決まらないので、実は周囲の人も困っておりました。
当時担当していたサントリー世界マッチプレイ選手権でロンドン出張中に、やはりパブで飲みながらであったと思うのですが、PRエージェンシーの英国人から、そういう場合はイギリスの貴族の爵位の名称で分けては?というアドバイスを受け、そうか、その手はあるな、とアイディアに乗ったのでした。
公爵 侯爵 伯爵 子爵 男爵
の一番上DUKE と一番下のBARONという呼び方で、『俺はデュークでお前はバロンだ』と、仲間内の小さなコミュニティで盛り上がっていました。
『おい、バロン!』
『イエス、デューク』
『ばかなこと言ってるよ』、と周囲からは冷ややかに見られていたのは当たり前といえば当たり前の話ですよね。
ある時、赤坂のバーで開高健氏と飲んでいるときに先輩(今でも私の親分です)が、やはり酔っ払った勢いで、
『先生、渡辺のニックネームなんていうかご存知ですか?』
『知らん、なんていうんや?』
『デューク、っていうんですよ』
『おおそうか、かっこうええなぁ』
という事から、開高先生からの電話が
『よれよれの開高先生や。デュークはおるか?』
『はい、お待ちください!』
になりました。
開高先生がサントリーの役員や宣伝部長にも言いました。
『お前のところのデュークが・・・』
『先生、デュークって誰ですか?』
『デューク渡辺や』
ご存知の方も多いと思いますが、開高先生は人にニックネームをつけるのが得意で色んな人が色んな名前で呼ばれていました。
とまあ、そんな事から上司からも『おい、デューク!』と呼ばれるようになり、元々渡辺二人でややこしいことでもあったので、そのニックネームが一気に一般化されたのでした。
世の中に渡辺があまりに多いので、その点でも便利だったのかもしれません。
仲間内の遊びが開高健という大者によって渡辺の上に冠され、イギリスの元首相、ダグラス・ヒューム卿にまで、『彼のニックネームはデュークっていうんですよ』と伝わり、ニコニコされながら、それはGOOD、なんて事になってしまった、そんな逸話なのです。
よって、私のメールアドレスはdukeなのです。
このdukeにこのような経緯と開高先生の思い出が積もっています。
そんな事が堂々と言い合えた暖かい環境と、素晴らしい人間関係がこの言葉には凝縮されているのです。
開高先生とは色んなところにご一緒しました。
二人きりの時間が長かったスコットランドの旅、茅ヶ崎の書斎で打ち合わせ、一緒に飲んだり、当時あった開高ルームやイベント時の控え室での補佐役・・・・思い出が多すぎます。
1989年12月、厳寒の茅ヶ崎、通夜、葬儀は受付に立っていました。
今の会社名ギリーも、開高先生と一緒に釣りの番組を作り一緒に行ったスコットランドで見つけた単語です。(釣りのガイドのことをギリーと呼びます。)同じ英国でもウイスキーの仕事、ゴルフトーナメントの仕事などでは出会う由もない職業です。
可愛がって頂いている嵐山光三郎氏からも、1999年の12月、日経新聞に『デューク』というコラムを書いて頂きました。
300万部の日経本誌に悪い事をしないで、ノンビジネスで載る事はなかなか無い事であり、そこでも皆に知られてしまったのです。
そのコラム『デューク』がこちらです。
はにかみ屋で、ダンディーな、酔っぱらい、という格付けでした。
恐れ多い事で、大変光栄に思っています。
私の実体をご存知の方はおわかりのように、全くこれは名前負けしていますが、そんな経緯と思いが入っているニックネームです。
本当にデュークと呼ばれるように頑張りたいと思っています。
『デューク』 嵐山光三郎 1999/12/17付 日経新聞 交遊抄 より
私の温泉仲間は、秘蔵のワインを持ちよって山の湯へ行く。
お歳暮に貰ったワインや外国旅行のおみやげを一人一本持ってくるから十二人来れば一ダースになる。そのときに実力を発揮するのはユキヒロさんこと渡辺幸裕氏である。ユキヒロさんは、どのようなワインであっても、その由来と味と値段を詳しく説明してくれて、飲む順番まで指定する。
ユキヒロさんは、十年前はサントリー宣伝部にいて開高健氏とスコットランドをまわり、開高氏にデューク(公爵)というニック・ネームをつけられた。
九年前には私とスコットランドヘ行った。
私の小説「シャーロック・ホームズの帽子」はデュークことユキヒロさんがモデルである。はにかみ屋でダンディーな酔払いで、商売とはいえ、こんなにワインに詳しい人はめずらしい。ユキヒロさんは数年前に「ギリー」という雑誌を創刊したが、いまはサントリーショッピングクラブでインターネットを使ったEビジネスを開拓している。
開高氏がデュークと呼んだのは、ユキヒロさんの博識と情熱に敬意を払ってのことだろうが、風貌にも英国紳士に通じる気品があり、こないだテレビの深夜映画で「シャーロック・ホームズ物語」を見ていたら、ユキヒロさんに似た公爵が悪党と決闘するシーンがあって「デューク負けるな、悪いやつをやっつけろ」と応援した。負けそうになったところで赤ワインを飲んだら公爵が逆転勝ちして、よかった、よかった。
(あらしやま・こうざぶろう=作家)